2008年1月6日日曜日

ロシアの詩聖 プーシキン 余話(1) 時代背景

本名 アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン
1799年6月6日(旧暦で5月26日)-1837年2月10日(旧暦で1月29日))ロシア国民の詩人とされております。その生涯と作品についてはいろいろな書籍に記載されておりますし、実際に朗読をお聞きしながら触れていただくとして、ここでは、プーシキンの38年の生涯をおくった時代の背景と、きってもきれない女性について数回に分けてお話をしてみたいと思います。

当時のロシアは、ロシア帝政時代で、アレクサンドル1世の統治下。農奴制、専制君主制の時代。首都はサンクトペテルブルグ。モスクワは、まだ地方の一都市。1812年には、ナポレオンとの戦争に勝利をあげ、国民的な高揚とともに、神聖同盟の盟主として欧州政治にロシアの皇帝として君臨し始めたころです。しかしフランスの民主化の流れに触れたロシア人の将校を中心に、立憲議会設立をめざす動きも国内ではありました。そしてその動きが、1825年のアレクサンドル1世の死を機会に、12月(旧暦)デカブリストの乱につながったわけです。プーシキンも進歩的な思想家の一人として考えられ、ロシアの南部キシニェフ、オデッサに勤務換えののち、とうとうロシアの北部のミハイロスコエ村のプーシキン家の領地に蟄居させられてしまいました。また、中央に戻っても、その詩作は、すべてニコライ1世がじきじきに検閲するという状態であったわけです。デカブリストの首謀者は絞首刑、多くのものはシベリア、カフカスへ流刑されたのですが、プーシキンは流刑された友人に各種の詩を送っております。その代表的なものが、私が毎回朗読しております「シベリアへ」です。これは、友人の一人であるムラビョフの妻が夫の後を追ってシベリアに向かうときに託した詩だといわれております。(続く)
* ネクラーソフ『デカブリストの妻たち』(岩波文庫、1950)

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